私に今必要なものは、―――優しさではないの。













       さ  よ  な  ら












 ハロハロッ

賑やかで、やかましい球体。
両手で柔らかく捕まえて、自分の髪と似せた色のそれを見つめる。



「――…」



唇から漏れる吐息は、空気に混じって消え行く。



 ハロッ ラクス



「大丈夫、ですわ……大丈夫。


           きちんと、言いますから」











カツカツ、と靴と床が擦れる音が耳に届く。
ぴくりと肩を小さく揺らし、ゆっくりと振り向く。



「―――アスラン…」


「………。」



其処には真紅の服に藍色の髪がよく映える、翡翠色の瞳の少年。
端正に整った顔には決して笑みなど浮かんでおらず、ただ口元を引締めたまま
静かにこちらを見つめている。真っ直ぐに。



「来て下さって、ありがとうございますわ。」


「いえ…」



…あ。


癖。

彼の、癖。


微笑んで見せると、視線を泳がせる。
歪んだ眉は、それでも尚整っていた。



「ラクス?」



不思議そうな声音で呼ばれる自分の名前が、
懐かしくくすぐったい。
普段のたおやかな笑みにその意を込めながら、
翠色の真っ直ぐな瞳を見つめる。



「急にお呼びだてしてすいません」


「あ、いえ……」



彼はいつものように、また視線を泳がせる。
ラクスはそんなアスランに微笑みを浮かべながら小さく深呼吸。




 大丈夫、大丈夫、



眼を閉じて、眼を開けると、
藍色の頭が一番に飛び込んで来る。



―――、大丈夫。





「どうしても、お話ししておかなければと、思っていましたの、」



「お話、ですか」



ラクスの並べた言葉のうち、単語をひとつ摘み上げて、
アスランが問い返す。



「ええ。私たちの…婚約の、お話ですわ」



瞬間、ピンとその場の空気が張り詰める。
翠の瞳が一瞬一回り大きく開かれた。



…きっと、もう既に理解っているのでしょう。
わざわざ言葉にしなくとも、寧ろ会わないでも話をしなくても、
アスランには理解っているのでしょう。


けれど、





「………。」



アスランは眼に見えて言葉に窮している。
やはり眉根を寄せて、苦々しい表情を浮かべている。
自然とラクスも眉が下がる。
しかし口元をきゅっと引締めて、





「きちんと、お別れをしましょう」




「………ッ」




「ずるずると中途半端なままだと、お互いの為にならないと思うのです」





近い距離同じ艦内だから、
本当に好きな人と一緒に居辛いでしょう?


アスランは、ただ黙ってラクスの言葉に耳を傾ける。
それこそ一言一句逃さぬように、と。
ラクスは、ひたすらに脳内で出来たシナリオ通りに台詞を述べる。



「もともとは親同士が決めたもので、私たちの意思は含まれなかったのですから」



その婚約を定めた張本人たちが居ない今、一緒に居られる理由など、無いのだから―――





アスランは、私という重荷から開放されるべきだと、おもう





おもう





「お別れを、しましょう、」



せめてキレイに。



これ以上、傷つけることの無いように―――




「―アスラン」




「いやです」




意外な言葉が飛び出した。
ラクスは眼を丸くして顔を上げる。
真摯な翠の瞳が真っ直ぐにこちらを見つめる。



どうして?


でも、








「なんて、言えませんね」


真摯だった翠色は何時の間にか皮肉を含んでいて。
口元にはそれと似合わず笑みが貼り付けられていて。





ああ




一瞬でも嬉しいと思った私は、なんて都合の良い人間なのだろう





「…ビックリ、しましたわ」

「すみません」

「いえ、でも、そうですわね」





優しい貴方を傷つけた、代償なんかとは比べ物にならない。





「―――では、」

「ええ」

「ありがとう、ございました」

「そんな…、お礼なんて、ラクス」




ラクス―――貴方の唇から零れる私の名前は、いつだって特別に響いてた



ありがとう


たくさんの、たくさんのお友達をくれた



ありがとう


忙しくても、どんなに大変でも会いに来てくれた







たとえそれが、義務的なものだとしても







ありがとう




貴方は優しい、居心地の良い存在だった






ありがとう






ありがとう


















さようなら


















今の私に必要なのは、

                  優しさじゃない、の


















「うわっ」


どん、と、そう大きくない衝撃が二人に走る。
前を観ずに身体を空中に預けていたラクスに、一方的に責任がある。


「キラ…ッ」

「ラクス、と、大丈夫?」


ラクスとこんな事故を起こすことを想定してなかったので
それなりに驚きつつ、優しく心配する紫の瞳。


「…さい…」

「え?」






「フレイさんのこと、忘れないでいてあげてください」






「……ラ、クス?」







愛される存在であってはならない





私は利用しているだけだから
この強いチカラを。







愛されるわけには、いかない




























最後の最後にまた、彼を傷つけてしまっただろうか。
きっと、もう言わずとも自然に消滅していた仲だったのに。


それでも、


でも、



最後に、会いたかった私の、



最後のわがまま




























「いやです」




ああ、






  あれは本気だったのかしら










     ば  い  ば  い  



























(06/01/05)