ほんとうは、
















s t a n d  b y  m e
















小雨がパラつく空模様の下、後部座席でラクスは溜息を吐いた。
運転手はそれに気付いているのかいないのか変わらない表情でハンドルを握る。
フロントガラス以外の外との接点はすべて深い藍色のカーテンがかけられ
昼下がりだというのに中では人工的な灯りがてかてかと輝いている。


「…まだかかりそうですの?」

「ええ。どうも近くで事故があったようで」

「そうですか…。」


(こんな時に事故だなんて…)

カーテンの隙間から見える灰色がかった雲の連なりを見上げながら
ラクスはもう一度溜息を吐いたあと瞳を閉じて、ラジオから流れる音楽に聴き入った。





念願の自宅の門を潜れたのは、それから小一時間ほど経ってからだった。
聴き入っていたラジオの番組は早々終わりを向かえていて、
次の番組へとバトンタッチした直後のコマーシャルで長らく閉じていた瞳を開けた。


「お待たせしました。到着しましたよ」

「ありがとうございますわ」


穏やかにそう言い放つと、完全に停止する前に扉を開け
小走りで玄関へと戻る。
その背中を見つめながら運転手がぼんやりと呟いた。


「あんなに急いでいらっしゃるなんて、珍しい…」





チャイムを鳴らす。
この待つ時間ももどかしい。
やがてがちゃりと音を立てて扉が開き、見慣れた顔が笑顔を覗かせる。


「おかえりなさいませ、お嬢様」

「ただいま帰りましたわ。…もういらしてますか?」

「ええ。テラスの方へご案内しております」


よく微笑う人だから付き合いが親しくないと判断しづらいが、
いま確実に先ほどよりも笑みを濃くなっている。
ラクスは簡素に礼を述べ、上着も脱がずに部屋の奥へと突き進む。





ずんずん進んでやがて鈍い光が確認できる場所までやって来た。
もうあと少しだと思うと心臓の隅でびくんと脈打つのが理解る。
口元は普段は決してない荒々しさで呼吸をしていて―とは言っても
大きいものではないが―そのことに自分で気付くと、少し可笑しさが込み上げる。
やがて自動ドアの前まで来ると静かな音と共に視界に一層の光が差し込む。


「お待たせしましたわ、」


アスラン、とその名を紡ぐ前にラクスは瞳を大きく開けた。
まさかと思いながらそろそろと音を立てないように近付いて、確かめる。


「アスラン…?」

「…………」

「……まぁ」


寝てる。

机に耳を押し付けるように片手は項垂れて
すうすうと微かに息を立てて。


(寝ていらっしゃるなんて、珍しいですわ)


呆気に取られながらアスランの向かい側に腰を下ろし、
伏せられている自分の為に用意されたカップを立て紅茶を注ぐ。
色から見て今日はオレンジティらしい。
まだ暖かいようで勢い良く湯気が登る。
こくん、と一口飲んではぁ、と息を逃す。


「………これでも急いで帰ってきましたのよ?」

「………」


上に向けられた左頬と耳を見つめながらポツリとぼやく。
けれどもアスランは何も言わずにリズム良く身体を小さく上下させるだけ。
ラクスはもう、と小さく再びぼやくと周りを見回した。


パラパラだった雨はいつしかしとしとに変わり
庭先の葉を濡れさせている。
雲はより一層厚くなったようで、明日まで続くのだろうかとぼんやり考えた。


「ん………」

「………ッ」


身じろぐ様子が伺えて、一瞬ドキリとなった。
今の今まで外の音以外なにも聴こえない場所に
突然発せられたのだから驚いても仕方が無い。


(起きたのかしら)


そう思って視線を先ほどと同じ処まで戻してみる。
けれど目が覚めた様子は一切無く、微動しながらもその瞳が開く気配は無い。
ラクスは安心したように息を吐くと、はっと今日はよく息を吐く日だなぁと
心の片隅の方でぼんやりと思った。

なにを思ったか、ラクスは視線を動かさないまま体勢を微妙に変える。
横に放り出していた足をテーブルの下に仕舞い
両肘をテーブルの淵に置いて右手のひらを下に左手のひらを上に重ねて並べた。



女性が羨むような白い肌に長い睫毛、閉じられているとより一層目立ち
整った切れ長の瞳を飾っている。
小さな唇―あまり微笑まれることはなく、きつくはないが閉じられている
時間の方が長いのではないかと思う。
テーブルの上に無造作に放り出されている左手を見てみれば、
男の人独特の筋が何本も伺える手の甲。爪は切り揃えられていて
ラクスのそれよりもひとまわりくらいの大きさである。



(アスラン、)


これが、アスランの一部たち。
他のものと組み合わさってアスランが形成されている。


(眠ってしまわれるなんてどうしたんですの?)

仄かに微笑みを零しながら問いかける。
テーブルの上で組んでいた右手の人差し指を
アスランの頬へと持って行き、触れてみる。


「…………。」


ぽんぽん、と二度触れて離そうとしたところで
はっとある思考の処で意識が止まった。


(もしかして、)



「疲れて、らしたんですか…?」

「…………」


そういえば此処の所予定がギッシリだと言っていた気がする。
とは言っても以前に会ったのがもう二ヶ月も前だから
今日がその『予定』に含まれているのかは分からないけれど。
それでも今までの話の流れから、忙しくないとは言わないだろう。

そんなときに来てくれるなんて


「…………。」


約束だったからなのだろうけれど
それでも約束を守ってくれるのは、


「ごめんなさい、…」




そんな資格私にはないのに――








大切にするつもりはなかった。

自分には”大切にするもの”なんて無い方がいいと思ったから。
こんなに重たい荷物を運ぶのは私一人で十分だから。
誰かに頼ったりしたら、その人はきっと潰れてしまうから。


婚約者の名はそのうち切り捨てるつもりだった。

こんな気持ちを持っているなんて相手の人に迷惑過ぎる。
願わくば、冷たい、冷酷と呼ばれるような人が良い。
つかず離れたがりの私と同じようなタイプの人間の方が、助かる。


(ほんとうに…)


苦笑気味に口元に手を当てる。


(アスランとは縁の遠いタイプの人間ですわね)



アスランは優しい。
願っていた人間とはほぼ真逆と言っていい。
自分のことでも他人のことでも悩んで、傷ついて
でも、誰も責めない。


(だから貴方の近くには人が溢れているのですね)


妙に納得しながら、以前に聴いた同僚の話を思い出す。
あのイザークとも同期らしく仲良くやっているようだ。






だからこそ、



アスランにはもっと別の人間が相応しいと思う




もしも誰か好きな人が居るのなら遠慮なく言って欲しい。
私はきっと喜んでおめでとうを言ってあげられるだろうから。
暖かくて、優しい家族を作れる人を、選ぶべきだと思うから。



私なんかよりも。




「んん………す」

「…………アスラン?」


なにか言いたそうな、そんな気配が感じられて
ラクスははっとなった。
呟くようにその名を呼んで、瞳を覗き込めば
珍しく穏やかに微笑みを浮かべていて、







「らく、す………」






「…………ッ」


こめかみが熱くなってくるのが理解る。
視界が揺らいで、次の瞬間には頬を伝う感触がはっきりと感じ取れて、
泣いているのかいうと実感が脳内を覆う。












そっとアスランの手に自分のそれを添える。
アスランのは程好く温かくて、ラクスは口元が小さく綻ぶ。




「……はい」




































(06/03/16)