最 初 で 最 後 の わ が ま ま だ か ら


















「なんの真似ですか」



穏やかな彼女からは想像もつかないほど鋭く、
そして寂しい声がふたりしかいないこの場に落ちた。
言葉こそ冷たいものの密着した身体は温かく人間の血の温もりが
皮膚を通して肺とか心臓とか、とにかく『中』に入ってくる。


「…応えてください、アスラン」

たぶん、いっぱいいっぱいだと思う。
彼女の透明で脆い器は水が今にも溢れそうで、
それでも零すまいと必死に抑えて。


「アスラン…ッ」


人間なのだから、零したっていいのに
彼女にはそれが出来ない。したくない、という強い気持ちは
いろいろな事実に影響されていつの間にか『出来ない』に変わっていた。


「アスラン…!」

「ラクス」


出来るだけ優しく脆い貴女にほんの少しの傷も入らないようにその名前を呼ぶ。
けれど今の彼女は心底焦っているらしくそれにすらぴくん、と肩を小さく揺らす。


「ラクス」

もう一度名前を紡げば、俯き加減の顔が上へと上ってく。
想像した通り瞳はたっぷりと盛られた水分で輝き、唇はきゅ、と結ばれている。


「貴方には……私とは違う、大切な方がいらっしゃるのでしょう?」


敢えて名前は持ち出さず『大切な方』と遠まわしの表現。
ただそれだけのことなのに随分と距離を感じるなぁとぼんやり考える。


「第一、私たちはもう婚約者でもなんでもないのですよ……?」

「分かっています」


しっかりとした強い意志の篭った口調は
思いがけず彼女の瞳を大きく開けることに成功した。
言わずもがな、喜びも悲しみも生まれるような場面ではなかったけれど。


「ではなぜこんな……、」

「お嫌でしたか?」


思わぬ反撃に怯むラクス。
珍しく言葉をも失い、戸惑いの表情を浮かべている。


「嫌なら嫌と、言えばいいでしょう。突き飛ばすことだって」


出来ないわけじゃないでしょう、と更に畳みかければ
ラクスは脆く真っ直ぐな瞳で俺を捕らえて離さない。
吸い込まれそうな、空色に今度はこっちが吸い込まれそうだ。
そうなるまいと必死に踏ん張っていま、此処に立っている。


「…………ッ」


身長の関係で俺にすっぽりと納まる。
逃げられるよう緩く腕を廻し、唇をラクスの耳元まで運ぶ。
当のラクスはやはり驚いたらしく身体が大きく跳ね、
小さな手が戸惑いがちに胸の前で組まれる。


「…離し、て…くださ……」

「嫌です」

「…………アス、ラ、」

「まだ、離しません、」


いま離してしまったら、今度こそ貴女は自分の身を削ってまで
戦争に参加しようとするのでしょう?
それだけは避けなければ。なんとしても。


「行かないで、とは言いません」


そんなのただの我侭だから

廻した腕に自然と力が篭る、と同時に苛立ちが起こる。
彼女を前線に出すこと、アイツだったら躊躇わずに認めるかもしれない。
共に戦い、その手に宿る力で彼女を護り抜いて、終わらせる事が出来るだろう。


それに比べて俺はなんだ


結局は誰かに護られて、大切な貴女すら手放すほどの器の男で。
足掻いてももがいてもどうすることも出来ない、弱い人間。


「言いませんから、」

「………。」


彼女がぎゅ、と俺の服を掴む。
服と言っても軍服だから掴みにくいようだけれど。
何故だかその仕草に嬉しくなって、背に廻していた腕で頭を撫でる。


「ラクス………」

「私たちは似たもの同士かもしれませんわね」


紡がれる一言一言がじわじわと染み込んでゆく。
いつもの癖でネガティブに後ろ向きに進んでいた思考は止まり、
浮かんでいたアイツの顔だとか自分への憤りが糸を解くみたいに
するり、するりと解ける。
あがいて、もがいて、なんていう言葉が次々と散って行く。


「にたものどうし……、」


心の中でも、そして声に出しながらも反芻する。
それはふたりに対してあまりにも不釣合いな言葉。
だけどそれはふたりに対してとても良く似合う言葉。


(どうして…?)


いけない。

それを聴いてしまったら、彼女は此処を出てく。

予感がする。


「じゃあ尚更、離せませんね」

「………どうして、」


どうして―本当は俺が先に言う言葉だったのに。
笑いが込み上げる。情けなさも同時に広がる。





「俺が我侭だからですよ」









まだ、逃がさない。














せめて一度は溢れさせて―心の器を。………俺の前で。



































(06/04/19)