情けない。




正面きって表情を悟られないよう俯いてみるけど
案の定彼女にはばればれというやつで。
だからって大泣き出来る度胸は無いから
精一杯の強がりの証として酸素を求める口元を
戒めるようにぎゅっと閉じる。
鼻の中がぐちゃぐちゃで小パニックが起こっていて
それも重なって更に苦しい。


「………アスラン、」


返事はしない。
声を聴かれてしまえば一発だ。
今までの無意味に等しいとはいえ
詰め込んだ努力が水泡に帰すのは惜しい。


「アスラン?」


「もういいから、返事をして」が含まれた
俺の名前は、眉根を寄せて普段の余裕の笑みというより
年齢相応を思わせる微笑みの浮かぶ唇から零れた。



視界がぼやけることや、鼻がムズ痒いこと
それに連なって呼吸が苦しいこと―
その総てが同じ原因であるというのを、
もう何年も経験していなかった為、忘れていた。



(情けない…。)



こんな醜態をよりにもよって彼女の前で晒すなんて―。



「…私…嫌なことを言ってしまったかしら…」



ふっと顔を上げてみると、頬に手を当てて鎮痛な面持ちをして
小さく溜めた息を逃している。決してこれ見よがしではないけれど
俺から見て取れるということはそれくらいの大きさくらい。
その仕草に俺の全身に見えない汗が素早く駆け巡る。


「…そッ…そういうわけじゃ…!」

「あら、だってアスランったらさっきから名前を呼んでも返事もしてくれませんし」

「……、す、すいません」


そう返されると対応に持ち合わせる言葉が見つからないのが悲しい現実だが。


「……私、嫌われちゃったのかしら。ねぇグリーンちゃん?」


ぴょんぴょんと二人の周りを飛び交っていた球体のひとつが
近付いてきたのをしっかと両手で捕まえて、再び溜息交じりに問いかける。
問われた球体は瞳を光らせ機械音で『テヤンデェ』と叫んだ。


「ち、違います…っ!」

「…ほんとうに?」

「は、はい…!」


真意を確かめる碧い瞳で覗き込み、もう一度「ほんとうに?」
と渡されたプレゼントに、同じ応えでお返し。
彼女はそれにふわりと微笑みを落とすと、「なら、」と
声のトーンを変えて続きの言葉を口から零す。


「なぜ、応えてくれないのですか?」


全身から冷たい汗が飛ぶのと同時に熱い熱が駆け抜ける。
触らなくても理解るぐらい頬は赤く、それにすら恥ずかしさがこみ上げて来る。


「そ、れは……、」


碧い空は変わらずに俺を見つめて、言葉を待っている。
けれどどうも対応能力が低いらしい俺はその性格も災いし、
なかなか彼女が最も求めているだろうプレゼントを贈ってあげられない。
くだらないモノならたくさんたくさん溢れているのに。


「それは?」


さっき俺から零れた苦し紛れの単語は、
彼女によって綺麗な声で美しい発音に換わった。
一瞬だけ盗み見するように映った彼女の表情はたおやかで、
自分の焦り具合に自嘲すら浮かびそうになる。


「………ぇっと、」

「………。」


彼女は何も言わずただ待っている。
俺はやっぱり情けなく、吸い込まれそうになる碧さ
から逃げるように右に左に、視界を泳がせる。
そしたら碧の変わりに赤い瞳と視線がぶつかった。
つぶらな2つの眼は瞬きもせず『ハロハロッ』と機械音を響かせる。


「………、ごめんなさい」

「…え……」


一人で愚考を巡らせているうちに彼女は一足先に
結末を迎えていたらしい。
――謝罪という名の言葉がそれを告げた。


「アスランを困らせてしまったようですわね。すいません」


そんなつもりはなかったんですのよ、と多少の残念さを滲ませて
ハロに向かって語るように呟いた。その声は幾分か明るい。


「…さ、お茶にしましょう?今日はローズティですの」


踵を返すようにくるりと振り返ったその背中に、
とてつもない切なさと罪悪感の混ざった感情が込み上げて
自分の中でそれがどんどん膨らんでゆく。




「ラクス」




爆発した証の彼女の名前は思ったよりも強く、
振り向いた彼女よりも俺の方が驚いている。


「嫌なことなんかじゃありません」

「……でも…」

「ぜったい、……ぜったいに、ないですから」


逆説の単語を紡ぐ彼女に畳み掛けるように否定する。
と、同時に罪悪感が心に大きな染みを作る。
こんなにも彼女を傷つけてしまったのだ、と――。



不公平だ


俺はとても嬉しかったのに、
彼女が傷つくなんて


そんなの可笑しい



可笑しいじゃないか




「むしろ嬉しいぐらい、だから……」


「…………」


無言のままだけれど表情で驚きを表した。
尻すぼみになる自分の言葉に気恥ずかしさが
無いと言えば嘘になるけれど、


「……すぐに反応できなくて、すいません」


小さく小さく、俺の名前が呟かれる。
それは俺を呼んでいるわけではない。
想像しか出来ないけど、ただ自然と零れたのだと思う。


「ラクス」

「あ、いえ……謝らないでくださいな」


ほっと安堵したのか、その欠片が顔に落ちた。
だけどまだ完全ではないマイナスな感情の払拭をすべく、
見えているか定かではないけれど、右手のひらをぐっと握り締めた。


「……すぐに反応出来なかったのは、」


碧い双眸がぱっと開かれ、それに見つめられる。
攻撃の意など微塵も感じられないのにどうしてか怯みそうになるのは、
自分の心の脆弱さの現れなのだろうか。


だけど、
情けないままで居たくないから。



「うれしく、て、その……な、涙が止まらなくて……」

「…………。」

「泣いてる所を観られるのが恥ずかしく、て……」

「…………。」

「……涙なんて、無くなればいいのに」



なんだろうこの台詞。
本当に俺が考えたんだろうか。
もっと綺麗に伝えられたら、とか
もっとラクスが微笑ってくれるような言葉だったらとか、
渦巻くのは後悔ばっかりで、
頬と目頭が熱くなる。




「私、アスランのことが大好きですわ」




「………ッ!」




数分前に聴いた言葉が、そっくりそのまま耳を貫く。
今度は耳朶にまで熱が及んで、それにすら情けなさを感じて、
視界の歪みが酷くなる。


(今日はこんなのばっかりだ…)


はぁ、と心の中で溜息を逃がすと瞬きがひとつ起こる。
それに伴い溜まっていた水分が零れ落ちて、
服に地味な染みが生まれた。


「どうぞ。」


それをぼんやりと見つめていたら、
丁寧に畳まれた淡い水色の布が視界に映る。
彼女から差し出された涙を拭く為のハンカチだと
理解するまでに、軽く数十秒かかってしまった。


「ありがとうございます、」


そう言って受け取ろうとハンカチの端っこに指をかけたら、
ラクスがひょい、とそれを引っ込める。


「…え……」


驚いて顔を上げ碧い色を探すと、その下の薄いピンクの唇には微笑みが
貼り付けられていた。


「涙が出なくなってしまったら、私は淋しいですわ」

「………?」


ほぅ、と溜息を今度はこれ見よがしについて
子供のような無邪気さを持って「つまらない」を表情で作る。


「知っていますか?」


俺は相変わらず疑問符ばかりが浮かんで止まらない。
水のように空気のように、彼女はするりと掴もうとする俺の手を避けるから。



「人が涙を流すのは、好きな人にぬぐって貰うため、だそうです」



「………、」



でもやっと、服の裾くらいは掴めたらしい。

彼女は再度俺にハンカチを見せる。
変わらずに淡い水色でそれはさわやかな春の空を思わせた。



「拭っても良いですか?あなたの涙を」



それは野暮、というヤツじゃないかと心の隅で思った。
この状況で、俺が、嫌だと首を振ると思うのだろうかと。

振ってみても良いかもしれないけど、そんな余裕なんて無いから。
彼女との距離を縮める方に懸命で余計な行動を起こす思考は残念ながら活動中止中。



さぁ



やるなら早くして?





「…はい…ッ!」





涙の所為で、頬が堅いよ。




































涙  の  跡



































(06/03/31)